子どもは描きながら世界をつくる
− エピソードで読む描画のはじまり −
2017年6月6日 改訂版
「子どもは描きながら世界をつくる」は、「1歳から2歳初めの子どもの描画(主になぐり描き)」のプロセスをテーマにした本です。
著者が子どもたちと親御さんが一緒に描画をしながら遊ぶ場をつくって観察研究を行った記録をまとめています。発達と保育の分野の専門書ではありますが、できるだけ特殊な言い回しを使わず、日常的なことばで書いています。
ただし、すでにこの本を読んでくださった方はおわかりのはずですが、これは絵の「描き方」や「描かせ方」の指南書ではありません…いえ、子どもが線を描くみちすじの説明や描画遊びのヒントも含んではいるのですが、それが主題ではないのです。
それじゃあ、そもそも何が主題の本なの?
そもそも、どうして描画を「エピソードで読む」必要があるの?
そもそも、1歳児が描く絵に意味はないでしょ?
この「手引きの頁」は、そういう、この本の「そもそも…」にお答えするガイドです。
保育者の方、
子どもの研究をしている方、
子育て中のお母さん、お父さん、
それから、
「人の成り立ち」に関心をもつすべての方へ。
―― この本の考え方 ――
「なぐり描き」を場面で捉える
1歳を過ぎ、画材や筆記用具頃を持てるようになった頃から、子どもたちは「なぐり描き」をはじめます。
初期の頃の「なぐり描き」は、一見すると意味のない「点」や「線」です。
でも、描いているときのしぐさや表情によく注目して「なぐり描き」する子どもに接すると、その子が今まさに「一人の人間」としての主体を立ち上げようとする姿が浮かび上がって見えてきます。
従来の描画研究において、幼い子どもたちが描く「なぐり描き」は、「どのような順序で描くか」「何を描くか」という点に注目されて語られてきました。「描いた線=子どもの表現」として捉えることが当たり前だったからです。
この本は、その従来の考え方と少し違う視点から「子どもの描画」を説明しています。それは、子どもが「描く場面」の中に子どもの表現を見出す、という視点です。
「なぐり描き」の中に、その子の主体の育ちが見える
例えば、1歳初め〜半ばくらいでは、子どもが目の前の相手が何か描いていると、その上に手を伸ばして一緒に描こうとします(これは『子どもの発達と診断』の田中昌人氏も指摘している特徴です)。
ところが、やがて相手と少し距離を置いて、相手が描いているものを真似するようになります。
真似ができるのは、相手が自分と異なる「描く主体」だとはっきりわかり、自分もまた「描く主体」として独り立ちするということです。
一般にあまり知られていませんが、この時期の描画の本当の面白さとは、そういう、近くにいる人に向けられた力強い主体の立ち上がりの中にあると著者は考えています。
個体の発達
<
関係発達
この本のもう一つの特徴は、子どもたちの描画と表現を「その場にいる人たちとの関わり合い」を通して捉えている点です。
一般的に、表現は個人の能力で生み出されるものだと考えられていますが、子どもの場合には、年齢が幼いほど、身近な人々との対話の中で流動的に生まれるものです。
その対話とは、大人が表現の方法を一方的に教える対話ではなく、子どもも大人もお互いが一人の生きた主体として関わり合い、感じることを伝え合う対話です。
この考え方は、子どもが「身近な人との感情的な関わり合い(ときにぶつかり合い)を通して育つ」という「関係発達論(※)」の考え方にもとづいています。
(※ 著者は鯨岡峻氏の関係発達論を深く参考にしています → ご興味ある方はこちら )
子どもの「描く姿」を感じ取るために
著者は、この本を書くにあたって標準的な発達のみちすじにも配慮しましたが、発達段階のモデルを示すことをゴールにはしていません。
一つの基準に照らして「描けたか描けないか」を問題にするのではなく、まずは目の前にいる子どもが「描きながら感じているであろうこと」を感じ取りながら関わるやりとりの面白さを伝えたいからです。
大人が一緒に楽しんで関わり合うことほど、子どもが「自分を表現したい」と自然に欲する心の育ちを支えるものはないでしょう。
だからこの本では、子どもたちの「描く活動」を周りの人々を巻き込む生きた営みとして示すために、笑ったり泣いたりする子どもたちの姿をエピソードで綴り、著者自身もまた一人の人間として子どもたちの表現を感じ取って語るスタイルをとりました。
巻末には、私たち大人がそのように「子どもが今まさに世界をつくりあげている姿」を記録することで、同時に私たち自身の世界をつくりあげているのだ、という記録の考え方を記してあります。
ぜひこの本をお手に取って、子どもたちのいろいろな「描く姿」を感じ取り、子どもたちと一緒に新しい世界をつくり上げていくヒントにしていただけたら幸いです。